レディゴルファーとは50代からゴルフ女子と宣言する人のこと
こんにちは!ブログ管理人レディゴルファーです
ゴルフって、1日かけて、四人で行動しますよね。
それぞれ、まぐれでうまくいくと喜んだり、失敗してはがっかりしたり。
基本的にどうってことないことを話したり話さなかったり、
冗談を言ったりしながらラウンドするのがとっても楽しいです。
私は、軽いおしゃべりをしながら芝生を歩くのが、とても好きなんです…
とはいえ、実際のラウンドはそんな優雅ではなく、あっちに走り、こっちのバンカーに苦戦し、大忙し!いつか優雅なラウンドができるよう、精進しております。
だから、これは単なるゴルフではなく
社交的ゴルフだな〜
社交なんだから、ゴルフでおしゃれも楽しみたいし、美味しいものも食べたい。ついでにゴルフもうまくなりたい。
そして、50歳から始めても、ゴルフおばさんではなく、ゴルフ女子だと宣言する気構え(ずうずうしさ)を兼ねていること。
そんな気持ちでゴルフと向き合っている全ての人をレディゴルファーって呼んでいます。
私について
基本は地味でおとなしい人間です
私は1968年生まれ、子供時代の成績はオール3😒全くもって、地味で中庸なおとなしくて内気な子供でした。
そしてそんな自分が嫌で、もっっと積極的で明るい人になりたい、、と、憧れていたのです。
小学校の成績表にも『もっと自分を表現しなさい、消極的すぎます』と書いてありました。
やっぱり自分は誰から見ても地味で消極的で根暗なんだーとずいぶん落ち込みました。そのショックから数年後。
大人になったら自由で積極的に生きてみた
よっしゃ、派手にしてやるわ!と思ったのか思わなかったのか、都内の女子校、短大ではおしゃれとディスコとバブル景気に浮かれながら青春を謳歌しました。その後、単身ニューヨークに渡り、七年間エステティシャンとして働きながら海外一人暮らしをしてみたり、帰国後は化粧品会社で営業職をしながら銀座のクラブで働いたりで大忙しでした。
私は40代まで独身で気楽にチャラチャラ暮らしていました。今になって思う事は何も残ってないけど楽しかった。
転機がおとづれたのは、気楽なチャラチャラ暮らしをしていた48歳の時、乳がんになったのです。
病気で今までの生き方を方向転換
48歳まで気ままに暮らしてきたのです。ショックでした。誰にもうちあけることもできませんでした。そそくさと仕事を辞めて、東銀座の賃貸マンションを解約して、東京のはずれ町田市の実家に帰ってきました。
しばらくの間、引きこもって、実家の年老いた両親に庇護されながら、小学生の頃に戻って静かな娘として暮らしていこう、私はもう健康な人と違うんだから、っと今後の人生に希望を持てずにいました。がんという病気は人生の終わりを意味するのだ、と当時は思っていたのです。(今は違います、がんだって健康に生きていますし、これからも元気に生きていけます)
そして、人生には終わりがあるのだ、私も遠からず終わる日がくるのだ、という当たり前すぎる事実に初めて直面し、そのことをいつも忘れないように生きていこう、と決めました。
今はずっと続かない、だから今を大切に生きるってことです。そのように生きるのは簡単ではないけど。
電撃結婚して、電撃離婚
そうして実家で静かに暮らしていたら、「結婚しよう」という男性が突然現れました。そしてすぐに離婚しました。
あれは何だったのか?というくらい一瞬の出来事でした・・・
きっと病気になった私は平常心ではなかったのでしょう。
そしてそんな私を好きになった人は、本当の私を好きになったわけではなかったのだから、すぐに結論が出てよかったのです。
そして今私は、自分らしく地味におとなしく、普通の会社で働いて、料理とゴルフを趣味として、
両親と静かに暮らしています。まだまだ人生は先が長い、さらに新しい自分らしさを発見していきたいです。
私のゴルフ歴
私は現在、普通の会社員です。
朝9時から会社でパソコン仕事をしている身です。
でも、実は若かりし頃
当時勤務していた化粧品会社在職中に、銀座のクラブのホステスへと転職したことがあります!(◎_◎;)
この、銀座の高級クラブという特殊な世界の慣例の一つに、
お客様にゴルフへ連れて行ってもらえる、という特典?仕事?があるのです。当然ゴルフのうまいホステスは人気が出ますし、尊敬されます。
みなさん想像されると思いますが、ゴルフの後にホテルにお誘いされるっていうあれは、私は一度もお誘いを受けたことはありません。
ゴルファーって紳士なんですね。ゴルフに敬意を持っているんだと思います。だからゴルファーが好きです。
当時はそれほど興味がなかったゴルフですが、ゴルファーが好きだったのと、仕事の一部という理由もあり、時々、連れていってもらっていました。
なんせお付き合い気分ですから、練習に身が入っていません・・・
そして平気で140なんていうスコアで回っていました。(大変ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ありません。)
練習もそこそこに、コースデビュー、興味もたいしてないため、上手くなるわけもなく、
そうしている間に、華麗なる銀座ホステス業は終了しました。(銀座をあがる、って業界では言います。)
それなりに良いコースへ色々連れて行ってもらったはずです(ゴルフ場の名前は忘れました・・興味がなかったから)
ただ、初夏の高原のゴルフ場の爽やかさ、それが今でも忘れられないのです。
どこまでも清らかな風、目に染み入るような若葉と芝の緑、明るいパステルブルーの空・・・!
あの爽やかさを味わいたくて、またゴルフをやろう、と思ったわけです。